XXXI
想像するちから:
    チンパンジーが教えてくれた人間の心

松沢 哲郎著


 後書きによれば、著者は還暦を迎え、遺書のつもりでこの本を書いたという。この本には、著者が切りひらいてきた、比較認知科学という分野が記されている。著者の研究の最終的な対象は人間の心であり、著者はそれを、進化的に近縁のいきもの同士を比較するという方法、具体的には、チンパンジーを対象として、人間とどこが同じで、どこが違うかを見ることで、人間の心を理解しようとした。
 印象的なのは、チンパンジーを,人間を数えるのと同じように、一人、二人と数えていることである。そして、出来るだけ、普通に生きているなかで、教育や観察を行い、人間の場合と比べようとしている。
 著者の研究の対象となったチンパンジーに、有名な「アイ」というのがいる。数を憶える、色を憶える(あるいは言葉も覚えている),道具を使うなど、色々な能力を示すようになったチンパンジーである。アイの数字を一瞬で憶える能力は人間を遙かに凌ぐものであり、人間はこうした能力を失ってしまっていると著者はいう。それは、人間やチンパンジーの脳が赤ん坊から子供に成長していく過程で、能の大きさが拡大していくなかで、人間はこうした直感像能力を失って、その代わりに言語を獲得した。記憶と言語のトレードオフと、著者はいう。
 こうした事例を具体的に示しながら、チンパンジーと人間の違いを見ていく。その中で、興味深かったのは、チンパンジーの子供は母親が(一人で)育てるが、人間の子供は母親だけでなく複数の大人達で共に育てる,というものである。おそらく、その結果として、人間の子供は小さいときから、社会性を身につけているのだろうという。
 さらに、絵を描くチンパンジーや病気になったチンパンジーの観察から、チンパンジーは、そこにあるものを見ている(今を生きる、また、将来を見ないので絶望もしない)が、人間は、想像することが出来る、すなわち、そこに無いものを見ることができる。だからこそ人間は将来に絶望したり、将来に希望を持ったりすることが出来るのであるといっている。それが本のタイトルの「想像するちから」ということの意味であり、「想像する」ことが人間の特徴であるというのが著者の結論なのである。
 もし、それが人間とチンパンジーのゲノムレベルで1.2%しか違わない部分の一つの実態であるとするなら、将来に絶望するのではなく、将来に希望を持って生きていたいものである。
 なお、著者は、対象に対する愛着を持たない研究にどういう意味があるかとして、日本にいるチンパンジーの生活環境の改善(ある時期から霊長類であるチンパンジーを薬の開発などのための実験動物として使用することが禁止され、今日本にいるチンパンジーをどうするかが問題となった)、また、研究拠点であるアフリカでのチンパンジーの保護・保全活動にも大きな努力を払ってきた。いのちや心を対象とする研究者としての姿勢がここにある。

  比較認知科学という、人文科学と自然科学の接点での研究の現場を、著者個人の視点で書き残した貴重な資料でもある。どんな分野を学ぶ学生にとっても、読んで楽しい、読んで参考になる本である。

学長 磯貝 彰

※ 書評中の身分・表現は当時のものです。