XXIV
心を生みだす遺伝子

ゲアリー・マーカス著



 本書は、この本の発売直後に買ったもので、私の書棚においてきたものである。おいておいた理由は、本書の第6章の終わりに、気になる引用文が記されており、それを何処かで使う必要があったからである。
 そこには、こう書かれている。
 「古い中国の諺に曰く、『人に魚を一匹与えれば一日食べられるだろ。人に魚釣りを教えればその後一生食べていけるだろう』」と。
 これは、本書の中では、「ゲノムのかなりの部分が、脳を、それをさらに広げれば生物が、独力でやっていけるほどしなやかにするシステムにあてられている」として、脳と生まれの関わりを述べているとして使われているが、私は学修というものの本質と受け取り使ってきた。即ち、学ぶこととは、魚の食べ方を知ることではなく、魚の取り方を学ぶこと事である、即ち、教育(学修)において重要なのは「学び方」を学ぶことであると理解してきた。

 さて、そろそろ、学生用の図書に出していいだろうと思い(本屋でもまだこの本は売っている。ということはまだ古くなってはいないのであろう)、あらためて本書を紹介するために、読み直してみた。

 本書の原著は2004年の発行で、ヒトゲノムプロジェクトの完成直後くらいの時である。ヒトゲノムの情報から何が出来るかと言うことについては、その後の色々な発展はあるものの、本書で書こうとしている課題について、状況は大きく変わっているわけではない。
 訳者の大隅典子さんは、東北大学大学院教授で、女性研究者として生命科学の研究分野の第一線で活躍している人であり、後書きに、「この本とは人生の節目となるような出会いであった」と書いている。さらに大隅さんは「心とは脳のどんな働きに基づいているのか、そして脳はどのように作られ、それに遺伝子はどのように関わるかを、専門家でない読者にわかりやすく伝えることを意図している」と書いている(自分としてもこうした活動が必要であろうと考えていたのであろう。大隅さんは、研究の一方、色々な情報発信をされている)。しかし、同時に「生物系でない人に本書の全てを読みこなすのは難しいかもしれない」とも言っている。後段はその通りではある。
 いずれにしても、これからの生命科学の一つの方向が、脳の機能や心の解明であることを考えると、それらとゲノムを中心とした遺伝子との関わりは、大きな課題となるであろう。その意味で、「生まれと育ち」はヒトにとってどういう関係にあるのかについてその基本を理解しておくことは必要である。本書では、「生まれと育ち(遺伝と環境)の相互作用のうち、どちらが勝っているかではない。どちらかではなく、どのようにかを問いかけるべきである。ヒトの心を作り上げるのに遺伝子は環境とともにどのように働くかと」と述べられている。
このように、本書は、現時点でも重要な問題を提起しており、これからの生命科学、特に、動物の発生や進化、脳や心と、遺伝子の機能に興味を持つ学生には読むに値する本であろう。ここから、自らが興味を持てる課題も出てくるかもしれない。

学長 磯貝 彰

※ 書評中の身分・表現は当時のものです。