XXIII
嫌いなことから、人は学ぶ

養老孟司著



 本書は、大言論のパートⅡである。本書では特に「同じことと違うこと」について書かれている。相変わらず、読んでいてわからないところは多い。
 巻末に内田樹さんとの対談が載せられている。内田さんの本も随分このところ読んできた。最初に読んだのは、本書にも出てくる、「私家版・ユダヤ文化論」であった。その後、街場シリーズや、最近では「日本辺境論」などを読んできた。その内田さんでも、本書は「『わからない』というところは多々ありました」といっている。そこで内田さんは、「読んでわからないのはわかるだけのレベルに達していないということなんだから、『ああ、わからない、わからない』といってデスクトップに置いておけばいいんです。・・・たくさんわからないところがある本は良い本だとぼくは思っているんです」という。この内田さんにしてそうだから、私にもわからないところがたくさんあるのは不思議ではないと、妙に安心する。
 一つだけ紹介しておく。「考える軍隊」という話の中で、過去の戦争のおかげで「ものを学んだ」世代が、戦後の日本を作ってきた。それは、「イヤでも自分が変わらざるをえない」という体験であろう、そしてそれがある種の教育であったといっている。大言論のパートⅠで著者が言った、教育とは人を変えることであるという主張がここでもある。しかし、今の世界にそうした教育機能がないとすれば、「自分を変えるために」これからどういう教育の場を設定すればいいのかということで、それは「参勤交代」であるという。これは、都会で働く人は、ある一定の期間、田舎で肉体労働をすればいい、それを公に行うことである、という。貴重な意見であるがまじめに採り上げる人は少ないという。この提案を、本書を読む人はどうとらえるだろうか。  
 

学長 磯貝 彰

※ 書評中の身分・表現は当時のものです。