XIX
知はいかにして「再発明」されたか: アレキサンドリア図書館からインターネットまで 口承の時代から(ソクラテス、孔子)、文字で残す時代へ:図書館 ローマの没落とともに、大図書館はつぶれ、知の保存は、修道院という隠れた世界へ。やがて、経済が発達し.都市文明が復興する中、教える者と教えられる者が自然発生的に集まった大学と言うものが、都市に出来てくる。そのなかで、知の創造に関わる人たちの横のつながりは、最初は、個人的な手紙という形で行われた。グーテンベルグによる印刷機の発明も、当初は、その内容の保証の問題があり、知の集積と創造までには、ある種の関門が必要であった。このあたりは、インターネットの普及により、膨大な情報が流れるように成った現在と、同じ問題が印刷機の発明の時代にあったのだと知り、興味深いことであった。 やがて、膨大な知の構造に対して学問の細分化が起こり、知の創造は、それぞれ細分化された学問領域が責任を持つ形になる。これは現在に津かがっている構造である。さらに、特に科学や科学技術に関しては、実験室という場所から、多くの知が生まれるようになった。それが科学の時代の幕開けでもある。 秦の始皇帝の焚書の策は一方、必要な文書は残し、文字の記録を中心とした世界を作ったことによって、中国という国の現在までの統一性が守られているという。話し言葉では、その統一性は守られなかったであろうという。文字の文化の強さである。 本書では、「知の再発明」という言葉で、主として西洋において、知(神学や医学、原子物理学など)が、どのように生み出され、集積され、次世代に使われるようになってきたかという点について、それを「制度の変遷」としてとらえ、幅広くまとめたものである。 ソクラテスの時代、口承で始まった知の集積と伝承が、文字にまとめられ、やがて、図書館という制度に保存されるようになる過程。また、ローマ帝国の没落に伴い、その役割が、都市から離れた修道院という陰の部分に託され、産業の発展や都市の復興に伴って自然発生的に出来てきた大学という制度に移っていく過程。さらには、手紙という形式での共同体の形成や、知の拡大に伴う、専門分野という知の創造と伝承システムの発達。そして、近代科学の発展に伴い、知の発生地となってきている実験室の様子、などなどが、語られる。 大学には今、普遍的に専門分野というものがあり、私達はそれを当然のことと思っているが、それがどうして生まれてきたのかを、全く知らない。また、実験室という概念がいかに近代科学を切り開いてきたのかの歴史もあまり知らない。本書は私達があるものとして知っている知を生み出し、保存する制度の発生について、それぞれの時代の流れの中で、その制度を大きく変えてきた出来事や、それに関わった人々が紹介され、話が続けられていく。 これらを語ることによって、制度というものは寿命があり、西洋においては、知はこれまで6度にわたって根本的に再発明されてきたのだ、と本書はいう。そして、最後に、いまインターネットの時代になり、何がおきつつあるのかが述べられている。副題のアレキサンドリアからインターネットへというのは、こうした知の集積制度の最初(アレキサンドリア図書館)と今を象徴的に述べているものである。 本の読み方として、決して解説や後書きから読んではいけない本もある。しかしこの本には、長谷川一氏の、「過去の声を聴く」と題した有用な解説が載せられており、訳者のあとがきとならんで、最初に読んでおくと、この本の重要性や特質が良く理解できる。 インターネット時代の今のこれからを考えるときに、知の再発見の歴史を知っておくことは大切なことであろう。本書が書かれた理由もそこにあるのだろ。特に、学問の体系(制度)を輸入してしまって、ひたすら活用している日本では、その歴史は特に必要である。本書が訳された理由もそこにあるのだろう。 本書の中のエピソードで、興味深かった2つの事を記しておく。 一つは、グーテンベルグによる印刷機の発明によって、「製造される書籍の数が爆発的に伸びたにもかかわらず、・・知を再編成するための信頼できる包括的な手段とはならなかった」。ということである。それは印刷物が、出版社の利益などを基盤にして発行されたため、間違いが増幅されるなど、文書の普遍性や信頼性が確保され無かったことによる、という。また、そのために検閲が行われ、またそれによって、当局の立場に都合の悪い、新しい考え方などは、印刷物としては普及しなかったのだという。こうした例としてコペルニクスの「天体の回転について」などがあげられている。今のインターネットによる乱雑な情報をどう考えるかという観点で、興味深いエピソードである。 もう一点は、中国の始皇帝による焚書の話で、これを提言した宰相の李斯は、同時に中国の書き言葉の標準化も行い、様々な変体を取り除き、もっと簡単に書ける文字を作ったという。中国語は今も昔も書き言葉に重点が置かれた言葉で、中国文明が統一性を保てたのは書き言葉のお蔭であるという。「中国文化圏は、言語の点でも、地誌の点でも気候の点でも民族の点でも、古代地中海と中近東をあわせたくらい多種多様である。これをひとくくりにする人は、古代ギリシャ時代を除いて、誰もいないであろうが、中国はずっとひとくくりであった氏、今の一つの国である。」「中国が統一を保てたのは、文字の伝統のお蔭で、・・中国の古典や古典を理解するのに書かせない文字があったからなのだ」、とある。文字と文化、あるいは、国としての統一性を理解する上で、重要な指摘かもしれない。 これら以外にも、なるほどと思うところが満載である。 是非時間をかけて読んで欲しい本である。 学長 磯貝 彰 ※ 書評中の身分・表現は当時のものです。 |