XXXVIII
合掌のカタチ

多川 俊映著


 興福寺の貫首の多川俊映さんからまた本を送っていただいた。この5月にも、唯識?こころの哲学?という本をいただいたが、この本は学生諸君への本としてはやや専門的(宗教学の本であって)すぎるので、図書館におくことはあきらめた。しかし、今回の「合掌のカタチ」は、新聞や興福寺の寺報の「興福」にこの数年(2006年頃から)書きためたエッセーなどを集めたものであって、宗教家としての日常的な感想が記されている、読みやすいものであるので、前のものと同じように、学生諸君に読んで欲しい本として図書館においてみることにする。

 多川貫首は免疫学者として有名であった多田富雄博士と親しく、この本にも多田先生との往復メールが収められている。科学者と宗教者の意見交換として、極めて興味深い。
 
 本書の別の所で、多川貫首が、多田先生の言葉として語った部分を紹介しておこう。
 
  多川さん、技術というのはパンドラの箱でね、止められないよと。医学でも臓器移植とか遺伝子操作とか、始めたらずっとやる。どんどんやってくるよと。聞いたのです、先生、歯止めはどこでするんですか、って。すると、「残念なながら科学に止める力はない.止めるのは宗教か哲学です」と。  多田先生が言われた宗教と哲学は、(科学者の対極にある)宗教家とか哲学者ではなく、科学者ひとりひとりがもっている宗教性とか哲学性ではないかと、私は思った。

 科学者としての哲学或いは倫理観、多川貫首の言い方では宗教政、は科学が実社会をリードする原動力となっている現代にとっては、それぞれの科学者が自分なりのものを持っておかなければならない大きな課題であろう。その意味で、本書に書かれている宗教者の随想は、対極にある私たち科学者には、重みのあるものである。学生諸君もこの本から学ぶことは多かろう。


学長 磯貝 彰

※ 書評中の身分・表現は当時のものです。